正しいお墓の建て方

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正しいお墓の建て方

 ◎(以下の記事は福田海教学部による)

  中山通幽尊師の教え

福田海(ふくでんかい)を創立されたのは中山通幽(つうゆう)尊師です。
尊師は、江戸末期、今の岡山県高梁に誕生され、昭和十一年まで御在世になりましたが、その七十余年の間に全国各地に数々の福田(ふくでん)を行じられ、加えて、それら福田行(ふくでんぎょう)の中で多くの人々を善導救済されました。
そのため京都嵯峨の天龍寺の傑僧関精拙(せきせいせつ)老師も、尊師のことを「塵中(じんちゅう)の菩薩」とまで嘆賞なさったほどです。
尊師は、とりわけお墓のことに力を注がれました。
人々に先祖の恩に報いることの大切さを説かれ、先祖のお墓の正しい建て方と祭祀供養の仕方を教えになりました。
更にまた、全国各所において放置されていた無縁墓を集め、祭壇を築いて安置し、千燈供養(せんとうくよう)によってあつく供養されましたが、その数は実に二十万基を超えるものと推定されます。
こうしたことから、人々は、尊師のことを「墓王」と崇めたほどでした。
なお、二つのことを付け加えておきます。
一つは「福田海」の意味です。
「福田」とは、辞書によると「功徳になるような善事」ですが、尊師は次のように教えておられます。

「例えば、道端に石地蔵尊が倒れておられるとする。
そこに来られた甲はもったいないと思い、地蔵尊の側にしゃがみこみ、
般若心経を唱えて立ち去った。
それから間もなくして乙が来た。
乙は地蔵尊を抱え起こして立ち去った。
甲は無功徳、乙は大功徳がある。
乙のようなことをするのが福田である。
福田は読経ではない。
それは行為をともなったものであり、その結果が目に見えるものである。
地蔵尊が倒れておられれば起こすのが福田である。」
と。

また、「福田海」「海」については、尊師は次のように教えになりました。

「全ての川は海に流れ込む。
どんな宗派や宗旨の人でもかまわない。
そのままで集まって大勢の力をあわせて福田を行じてゆくのが福田海である。」
と。

付け加えておきたい今一つのことは、福田をしてゆく場合、尊師はいつも「陰徳主義」で進まれたことです。いくら功徳になるような善事をしても、それを自慢したり宣伝したりしたのでは何にもならないということです。


福田海本部  海主 中山 瑞巌

代表的な福田
念仏寺
京都市嵯峨の化野(あだしの)念仏寺の「西院の河原」
寺域の内外に散乱埋没していた古石塔・古石仏数千を集めて整理したものです。
時は明治三十七年。
尊師が開眼供養のために執行された千燈供養(せんとうくよう)はお寺の方で継がれ、今も毎年のお盆に行われています。
石塔寺
昭和四年、尊師が滋賀県蒲生の石塔寺の付近一帯に散乱埋没していた古石塔・古石仏を集め、祭壇を築いて祭られたものです。
その数は俗に八万四千基と称されています。
祭壇の中央に立つ大きな三重塔は「阿育王塔」と呼ばれ、総高八メートル、飛鳥時代のものと推定され、わが国における最古の石塔です。
宇治大塔は日本で一番大きな石塔ですが、阿育王塔は日本で一番古い石塔で、どちらも大きな意味を持った石塔と言えます。
なお、阿育王は古代インドの王の名です。
函館塔
尊師が北海道の函館市に建てられた「北門塔(ほくもんとう)」
高さは約五丈で、宇治大塔と並ぶわが国屈指の大石塔です。
昭和九年に起こった函館大火災による死者追福の意味のもので、建立は昭和十二年です。
石材で名高い香川県庵治の石匠中谷太之助氏が十五年の歳月をかけて造ったもので、欄干の透かし模様に笛を吹き華(はな)を散らずる天女が刻まれるなどした美術塔です。
尊師は、美術塔を功徳塔に変えるため、塔身の内部に大量の写経石を納めるよう説かれました。
宇治大塔
宇治大塔。京都宇治の浮島にそびえる日本最大の石塔です。
鎌倉時代の傑僧叡尊(えいそん)興正菩薩(こうしょうぼさつ)が創建されましたが、江戸時代に宇治川の大洪水で倒れ、以後長年埋没したままになっていたのを、明治四十一年、尊師が復興されました。
なお、目には見えませんが、八角基壇の中には莫大な量の写経石が納められています。
土地の人たちが「宇治大塔に耳を当てると中から経を読む声が聞こえてくる」というのもうなずけることです。
代表的な道場
福田海本部の弥勒(みろく)道場。
中央の建物が弥勒殿で、一名中堂と言います。
堂中央に落ちている御水が御本尊です。
周りの石塔は四十九基で、都卒四十九ケ院を現すと同時に、奈良時代に行基僧正が畿内に建てられた四十九ケ寺を塔の姿で復興したものです。
同じく本部にある千年塚。
牛の鼻輪を集めて祭ったもので、牛に対する報恩感謝と牛霊供養のためのものです。
その数は650万個に達し、俗に「鼻繰り塚」と呼ばれています。
写経石。
鶏卵大の小石に経を謹書したもの。
「般若心経」あるいは、その家の宗旨による経文を書くようにする。
六字の名号または、お題目などを書くのもよい。
写経を行じることによって、施主は自分の罪障消滅ができ、墓のことをする資格が得られる。
同時にこの写経石を墓地に納めることによって、霊への追福ができる。